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合唱の歴史 ブログトップ

合唱の歴史 -その9- [合唱の歴史]

第7章 ブルゴーニュ楽派と初期フランドル楽派(15世紀後半)

ブルゴーニュ公国はフランスの東部から北部に広がり、1477年にフランス王国に統合されるまで、高い経済的繁栄を誇っていました。
首都ディジョンの宮廷には、文人、画家、音楽家など、当時一流の大芸術家たちが集まって、ヨーロッパ一の洗練された宮廷文化を作り上げていました。音楽も宮廷の保護のもとに発展をとげ、中でも1440年ごろから60-70年にかけて活躍したギョーム・デュファイとジル・バンショアの仕事は重要です。

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合唱の歴史 -その8- [合唱の歴史]

第6章 中世イギリスの合唱音楽

中世のイギリスは、フランスとならんで、もっとも音楽にめぐまれた国であったようです。
この国は、ことのほかに合唱音楽を好み、充実したハーモニーを作り上げるという傾向が伝統的に強いのです。12-13世紀のフランス多声音楽では、五度、八度、四度といった音程が用いられていますが、イギリスの作品には三度や六度がいちじるしく認められます。
1310年ごろ、イギリスでは「夏はきたりぬ」という有名なカノンが作り出されています。わが国でもよく歌われている曲で、その構成からも、自然な旋律の流れからも、一際傑出した作品です。

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合唱の歴史 -その7- [合唱の歴史]

第5章 フィエソレのふもとに(14世紀イタリア)

14-15世紀という時代は、中世と近代の間に立つ独特な文化の時代でした。
イタリアは14世紀の中ごろから急激に多声音楽の黄金期に入ります。
ジャコボ・ダ・ボローニア、ジョヴァンニ・ダ・カシア、フランチェスコ・ランディーニ、ギラルデッロ・ダ・フィレンツェがとくに有名かつ重要です。

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合唱の歴史 -その6- [合唱の歴史]

第4章 ギョーム・ド・マショーとアルス・ノヴァ音楽(14世紀フランス)

第3章で紹介した13世紀に広く歌われた単旋律の世俗歌曲、初期多声音楽は、14世紀になるとすたれていきます。
14世紀になると都市は確乎たる実力をえて、新しい文化を作り上げようとしていました。ルネッサンスのおとずれです。イタリアではダンテ、ペトラルカ、ボッカチオら文人達、チマブエ、ジオットら画家達、イギリスではチョーサーが活躍していました。またパリ、ローマ、ウィーン、ハイデルベルグ、ケルンなどの町に大学が作られ学問が組織的に広められていきます。
このような気運は、音楽にも反映されていきます。多声音楽はラテン語による宗教的なものから、俗語であるフランス語やイタリア語によって愛や自然の美しさを歌った世俗的な作品が増大していきます。それまではモーダル・リズムという一定のワクがありましたが、もっと自由なリズムが用いられ、音楽の表情もよりこまやかになりました。

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合唱の歴史 -その5- [合唱の歴史]

第3章 中世世俗歌曲と初期多声音楽

中世には、教会音楽ばかりでなく、世俗音楽もさかんに歌われていました。
当時の記録や伝承によると、民衆の日々の生活に結びついて民謡や俗謡などがさかんに歌われ、また村から村をめぐって芸人たちが歌や踊りを演じていたということです。

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合唱の歴史 -その4- [合唱の歴史]

第2章 グレゴリオ聖歌 続き

グレゴリオ聖歌は、すべてラテン語で歌われますので、正しいラテン語の読み方が必要になります。(ただし「キリエ」はギリシア語の祈りです)
ローマ・カトリック教会では、典礼のためのラテン語の発音を規定しており歌うときはそれに従わなくてはなりません。その発音は古典ラテン語の発音でもドイツ式でもなく、現代のイタリア語に近いものです。
グレゴリオ聖歌は、ローマ・カトリック教会の典礼のための音楽ですので、グレゴリオ聖歌を理解するには、ローマ・カトリック教会の典礼についての多少の知識が必要になります。
ローマ・カトリック教会の典礼は、大きく分けて三つのタイプがあります。ミサ、聖務日課、洗礼・聖体・終油などの秘蹟の授与です。これらの典礼のために、それぞれいろいろなグレゴリオ聖歌の旋律が用意されており、その中でもっとも重要なものは、ミサのためのもの、つぎに聖務日課の晩課のためのものです。
キリストは最後の晩餐のおり、「これは世の中の罪をおって、十字架上に死ぬ私の血と肉である。私の死後も、記念してこれをおこなえ」と語りながら、ブドウ酒とパンを弟子たちにあたえました。のちのキリスト教徒は、この教えをまもって、儀式に晩餐をとりおこなうのを習慣としました。その中心は、ブドウ酒とパンをキリストの血肉に変ずる<聖変化>の部分と、これを食する<聖体拝領>の部分におかれ、その前後にいろいろな祈りや聖書朗読や信仰告白がおりこまれ今日のミサの形になりました。
そこで用いられる式文の内容はきわめて厳格に一定のものにさだめられました。これらの多くの式文のうち、とくにあらゆる季節を通じてつねに一定の言葉を用いるものがあり、これをミサ通常文(オルディナリウム)と総称します。これに反して、ある一定の日 ―例えばクリスマスとか復活祭― それぞれ特定の日に限って歌われる特有の式文は、変化分(プロプリウム)あるいは固有文といいます。
ふつう、「ミサ曲」といった場合には、以上のうちとくに通常文の五つの章 ―キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイをまとめて作曲した曲を意味します。ミサ曲というとバッハやベトーヴェンの大作を思い浮かべる方もいると思いますが、グレゴリオ聖歌によるミサこそ、カトリック教会にとってもっともふさわしいものであり、もっとも正統なものです。
ミサ通常文の言葉は、私たちがミサ曲を歌う場合に是非ともしっておく必要があります。一方、変化分は、特定の日に限って歌われるもので、膨大な数のものになります。死者のためにささげられるミサは、とくに「レクイエム」とよばれて、一定の式文をもっています。
この章ではながながとグレゴリオ聖歌について書きましたが、グレゴリオ聖歌が、この後のヨーロッパ合唱史の発展になみなみならぬ役割をはたします。
次の章では。中世紀吟遊詩人の音楽、初期多声音楽についてです。

第2章おわり
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合唱の歴史 -その3- [合唱の歴史]

第2章 グレゴリオ聖歌 続き

ローマ教会の勢力が増し、地方ごとにおこなわれていた教理、典礼、それにともなう聖歌を、一定の形に統一する動きが出て来ました。これには長い年月がかかりましたが、教皇グレゴリウス一世(在位590-604年)が大きい役割を果たします。それ以降、ローマ式聖歌は、ローマ・カトリック教会のもっとも正統的な教会音楽となります。今日でも世界中のローマ・カトリック教会は、この伝統的な聖歌(教皇グレゴリウスの名にちなんでグレゴリオ聖歌とよびならわされています)によって、典礼をとりおこなうことがたてまえとなっています。
今日のグレゴリオ聖歌がグレゴリウス教皇時代の面影をそのままとどめているかはすこぶる疑問視されていますが、すくなくとも8-9世紀頃の形はリズム以外は、ほとんど変わることなく現代まで伝えられているようです。
グレゴリオ聖歌は、単声部の音楽で、ハーモニーも対旋律もなく、合唱するにしてもユニゾン(斉唱)で歌う単純なもので、オルガン伴奏もないほうが望ましいのですが、その流動的な旋律はじつに美しいものです。消え入るように旋律がしずんでゆくと、また浮かび上がり、たゆたい、波打ちながら、無限にながれてゆきます。まさに天使の音楽という以外に、その美しさのたとえようがありません。
とくに、フランスのソレム修道院のグレゴリオ聖歌は有名で、もっとも正統な唱法として定評があります。9-13世紀頃は、羊皮紙に手で音符を書きうつしていました。12世紀の楽譜には、ラテン語の歌詞がしるされ、その上に旋律の上下の動きを点や線で図示しています。すでにおぼえこんでいる聖歌の旋律を思い出すためなら、この楽譜で十分です。
もっとも、はじめて見る人にとっては音程がはっきりしていません。そこで、12-13世紀になりますと、4本の線を付して、それぞれの音の正しいピッチをしめすようになりました。この種類の楽譜をネウマ譜といいます。

第2章 続く


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合唱の歴史 -その2- [合唱の歴史]

第2章 グレゴリオ聖歌

原始民族、古代エジプト、ユダヤ、ギリシアの次は古代ローマの時代になりますが、ギリシアや属領の音楽家の演奏を鑑賞する側にローマ人はまわっていたようです。
ヨーロッパ音楽の発展に寄与したのはユダヤを起源にするキリスト教の音楽です。キリスト教は、音楽をよく用いる宗教で、祈りも、賛美の言葉もすべて歌にしていきました。
313年キリスト教のローマ皇帝公認を転機として、独自の音楽になってゆきます。
その中心は合唱で、すべての人びとが心を一つにして神をたたえる合唱こそ、もっともキリスト教にふさわしいものとされました。一方、楽器のための音楽は、異教的な連想もあり、非難され、しりぞけられました。女性が教会音楽に参加することも禁じられました。
この後のキリスト教会音楽は、男性だけで歌われていきます。ポリフォニー音楽が成長すると、高い音域を歌う歌手は、ボーイ・ソプラノか、大人のファルセットで、女声にかえていました。また、17世紀ごろにはカストラートという特殊な男子の歌手が、高いパートを歌うようにもなりました。世俗音楽か女子修道院を除き、宗教音楽に女性が参加するようになるのは18世紀から19世紀になってからのことです。
初期キリスト教聖歌は、古代のユダヤ教聖歌の影響をうけたものらしいですが、地方地方で、シリアではシリア聖歌、エジプトではエジプト聖歌、エチオピアではアビシニア聖歌、東ローマではビザンツ聖歌、などがおこなわれていました。
西ヨーロッパでも独自の聖歌をつくりだしてゆきました。民族的大移動によって、ゲルマン的要素がまざりあってゆき、スペインのトレドを中心にモザラベ聖歌、フランスにはガリア聖歌、イタリアのミラノを中心にアンプロシオ聖歌、ローマを中心にはローマ聖歌などが、それぞれ地方的におこなわれていました。

第2章 続く

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合唱の歴史 -その1- [合唱の歴史]

少しは、まじめで役に立つことも書かねばと思い、合唱の歴史についてまとめてみることにしました。
参考文献は、皆川辰夫著「合唱音楽の歴史」です。

第1章 合唱のはじまり

比較音楽学によると(そんなのがあるんですね)、音楽は声楽としてはじまったようです。
皆で声をあわせて歌う<合唱する>ということは、人間が集団あるいは社会を作り始めたのと同時にはじまったと考えられます。
<合唱する>ということは、<歌う><集団を作る>という人間のもっとも基本的な行為に深く根ざしたものなのです。

近世の未開民族の合唱には、多声音楽が世界中ひろくみとめられます。人類の有史以前すでにかなり程度の高い合唱音楽をもっていたようです。すくなくとも、有史時代の古代エジプトやユダヤ、ギリシャにすぐれた音楽、そして合唱音楽がおこなわれていたことは間違いありません。

エジプトの王様の墓の彫刻に、ハープや横笛の合奏、合唱する人々、それを手をあげて指揮する人がえがかれています。楽譜は残っていませんが。
旧約聖書にも古代ユダヤで合唱がおこなわれた記述がありますし、死海文書には音符らしきものが記されています。
古代ギリシャでは、学者、理論家が当時の音楽についてくわしい記述を残しており、市民生活のなかでいろいろな合唱曲が歌われていたようです。20世紀になって古代ギリシャ音楽の楽譜解読できるようになりました。
今日<音楽>という意味で用いられるミュージック、ムジィークなどの語は、ギリシャ語のムジケーに由来していますが、この言葉は音楽に限らない総合的な表現芸術を意味していました。

第1章おわり

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